牛の角突きがワシントンポスト電子版で紹介されました!

 ロイター通信の記者・アントニーさんが書いたの記事が、「ワシントンポスト」や「朝日インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」、「ヤフーニュース」紹介されました。  記事の題名は「日本の闘牛 スペインと同じほどに ファンを魅了する。」 アントニー・スロドコフスキー/ 8月2日(月)7:29AM / ロイター東京(以下は記事の和訳文です。和訳は妻有号の牛持ちである長津先生がしました。)  二頭の牛が汗にまみれた体をぶつかり合わせる。目は血走り、口から泡をたらしながら。「引き分け!」その合図の瞬間が、日本人勢子の正念場となる。  スペインの流血をともなう闘牛が、動物保護団体や政府の監視下に置かれたのに対し、日本北部で行われている闘牛が人気を集めている。ファンたちは、両牛と同様に、牛が闘いで負傷する前に両牛を引き離す勇敢な男たちに歓声を送る。この闘いは闘牛または「角突き」と呼ばれ、約20人の勢子と共に行われる。勢子が両牛を闘牛場に導き入れ、牛の顔と顔を突き合わさせることで試合が始まる。しかし、数分間の筋肉に満ちた牛の肉体のぶつかり合いと、ゴツンゴツンという角の突き合いの後、牛たちが血を流し合う前に、闘いには終了の合図が出される。  すると、勢子が興奮して猛獣のように暴れる牛に飛びつき、時には1トンを超える巨体の後ろ脚にロープをひっかけ、牛たちを引き離す技を披露するのだ。時には彼らは命の危険さえもかえりみずに。  「私はこの闘牛場に血が流れることなど想像することができませんよ。」松井治二さん、日本北部、新潟県山古志村という、とても小さな村に住む角突きのベテランだ。彼は闘いが始まる前の牛たちに囲まれて腰をおろし、冷たいお茶をすすりながらこう語った。  「私たちはこの牛たちと、この土地を共に生きてきたんです。」山古志のご高齢の農家の方々は、愛情を込めて牛のことを語ってくださる。冬には物資を運ぶために、畑を耕す頃には働き手として、牛たちが必要不可欠だった頃の時代を思いおこしながら。  「私たちは牛を自分の子供と同じようにかわいがるのじゃよ。」今は80歳の稲作農家で、65年前に勢子を始めたという青木文博さんは語る。「おれは牛に自分の一番下の息子の名前を付けた。充号さ。牛は人間のようにかわいいよ。大きな犬みたいなもんさ。おれが田んぼから帰ってくるエンジンの音がわかるんだからね。」  角突きは、日本の文化に深く根をおろすものである。角突きの始めに、塩と日本酒を闘牛場に撒いて周るのだ。「同様のことが相撲でも行われます。厄除けのような意味があり、いくぶん宗教的な意味を含んでいるのでしょう。」東京大学菅豊教授の話である。彼はスポーツ競技の伝統研究者であり、闘牛のオーナーでもある。  闘牛は日本中で行われ、最も有名なのは南の島、沖縄のものだ。「しかし、私たちの地域は特別です。」松井さんは誇りをもって言った。牛たちの闘いを見つめ、目の奥を光らせながら。「ここでは闘いを引き分けで終わらせるだけでなく、日本の他の地域と違って、決して闘牛で賭けごとをしないんですよ。」  菅教授によると、動物の闘いを引き分けで終わらせるのは、世界でもここ新潟だけだという。「言い伝えのひとつによると、この地域はとても小さく、常にお互いに依存しあわなければ生活してはゆけない。いつも“お互い様に”と助け合わなければならない。そんな地域だからこそ、賭けごとや明確な勝ち負けを決める闘いはしないのだろう。」  角突きの大きな挑戦はこれからも続く。1978年に日本政府によって山古志の角突きは国の重要無形文化財に指定され、その関心が高まり続けているからだ。  65人の死者と3千人の負傷者を出した2004年中越大震災後、多くの家族が町に転居し、村に戻ることができなかった。しかし村に残った人々は言う「私たちは決して自分たちの伝統を絶やしはしない。」と。「私たちは地震後の仮設住宅でも角突きをやった。牛たちは我々に試練を乗り越え、前に進む力を与えてくれたんだ。」と青木さんは言った。「つまり、ある意味、わしらは牛たちに生かしてもらってるってことさ。」 記事のURLです。 http://www.reuters.com/article/idUSTRE67124020100802 http://news.yahoo.com/s/nm/us_japan_bulls

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